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中尊寺で平泉の歴史を学ぶ ~東北⑥~
皆様こんにちは☆

えーと、二週間ぶりですかね?

週末体調が悪かったり実家に帰ったりで更新を怠ってました・・・

こんなブログですが、今後もよろしくお願い致します。


前回は近所の桜を記事にしましたが、実は六義園の枝垂桜も記事にしようと思っていました。

実際六義園の前まで行ったのですが・・・

あまりの大行列に並ぶ気を失い、そのまま帰ってきてしまったヘタレです。

チケット買うのに50m以上の列は無理でした。


という訳で、もう何回目になったか忘れつつある東北シリーズです。





毛越寺から歩いて15分ぐらいでしょうかね?

平泉と言えばこれですかねやはり。


中尊寺①

中尊寺

の入口w


それでは歴史が苦手な私と一緒に学びましょう!!

中尊寺は比叡山延暦寺の高僧慈覚大師円仁によって開かれ

その後、奥州藤原氏清衡によって大規模な堂塔造営が行われました。

私は何故清衡が中尊寺を建立し、戦争のない理想郷を造ろうとしたのかが気になっていました。

その答えは恐らく後三年合戦にあるのではないかと。

清衡は清原家の相続争いである後三年合戦に巻き込まれ、この戦いで清衡は唯一生き残りました。

その過程は、異父弟に妻子を殺害されるなど、肉親相食む悲惨なものだったそうです。

そして清衡は非戦の決意から中尊寺を建立したようです。


中尊寺②


とにかくたくさんのお堂があります。

二代目基衡、三代目秀衡によって更に整備がされた境内は、往時には「寺塔四十余宇、禅坊三百余宇」

という規模だったそうです。


中尊寺③


中尊寺④


中尊寺本堂

写真の傾きっぷりが半端ない・・・(´Д⊂グスン

野火で焼失してしまっていまして、こちらの本堂は明治42年(1909)に再建されました。



中尊寺⑤


中尊寺⑥


中尊寺⑦


沢山のお堂を経てこちら、金色堂。

金色堂はこの建物の中にあります。

中は残念ながら撮影が禁止ですので、中がどんな風になっているかはネットで!w

金色堂は中尊寺の創建当初の姿を今に伝える唯一の建造物だそうです。

清衡・基衡・秀衡の御遺体と泰衡の首級が安置されています。



中尊寺から少し離れた所に、高館義経堂というのがあります。

義経①

ふと周りの景色を見てみたら・・・

山に大文字焼きの跡があるのですが、お分かりになられますでしょうか・・・

平泉大文字送り火というものがある事を初めて知りました。

毎年8月16日に藤原四代公、義経主従の追善と先祖供養のために京都・東山になぞらえた束稲山に、

約200メートルの大の字が夜空に浮かぶそうです。


義経②


高館義経堂


当時対立していた兄、頼朝に追われ、少年期を過ごした平泉に落ち延びた義経は、奥州藤原氏秀衡の庇護のもと

この高館に居館を与えられました。

そして秀衡が臨終にあたり、泰衡にこう遺言を残しました。

「源義経を大将とし、息子たちの力を合わせて源頼朝と戦いなさい」

と。

しかし泰衡は頼朝の圧迫に屈してしまい、義経を急襲。

義経の郎党たちは防戦したがことごとく討たれてしまいます。

館を囲まれ追い込まれた義経は一切戦うことをせず持仏堂に篭り、

まず正妻の郷御前と4歳の女子を殺害した後、自害しました。

義経自害から四ヶ月後、頼朝が率いる鎌倉の大軍が平泉に到達、

翌月に奥州藤原氏は滅亡しました。


丘の頂上に仙台藩主第四代伊達綱村公が義経を偲んで建てたのがこの高館義経堂です。


また、芭蕉がこの地を訪れた際に詠んだ句がこちら


義経③


夏草や  兵共が 夢の跡


句意


 その昔、主君義経を守って奮戦した勇士らの功名も、悠久の歴史の中で一場

の夢と化し、古戦場は今ただ茫々の夏草が深く生い茂るばかりだ。



なんだか儚さというものをもの凄く感じてしまい悲しい気持ちになりました。

そしてこう思いました。


世界が平和でありますように。




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[2013/04/07 15:29 ] | 旅行 | コメント:(7) | トラックバック:(0) | page top↑
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コメント:

こんばんは!

これが中尊寺ですか~
初めて見るので興奮してきます☆

詳しい説明で更新に時間が掛かったでしょう?
お蔭で僕もこの地にいる気分になれました (^^)  でも、寒そう…


> なんだか儚さというものをものすごく感じてしまい悲しい気持ちになりました

なんか、僕も同じ様な気分になってきた…



もしかしたら、何も変わらない日々が平和な時なのかもしれませんね (^^♪
[2013/04/08 23:21]| URL | かるがも@ #-[ 編集] |

>かるがも@さん

これが中尊寺ですよ~
もっと巧く写真を撮る腕があればいいのですが・・・(´・ω・`)

説明は色んなサイト調べてそこからちょこちょことw

そんなんです、秋田や盛岡よりも平泉は寒かったとです;;
雪があると意外とあったかいんですよね。体感的に。でも平泉は雪が少ない&風が強くて本当に寒かったです・・・

当時の人たちに比べると、平和な時代を生きているのだなと感じます。
でも、当時の人たちは強い心を持っている気がします。
[2013/04/10 09:38]| URL | zucca #-[ 編集] |

なるほろぅ 奥州藤原氏ってのは 聞いたことあるけど 勉強したのは忘れちゃうよね~
室町時代に栄えたってことなのかな
なんとなく 建物の配置は奈良のように広々してるけど 建築様式は京都みたいな。。。
そうか。。。京都に首途八幡宮ってのがあって
義経が奥州に旅立つ時に道中の安全を祈願した所らしいんだけど、 奥州までの道のりをたどって見るのもちょっと面白いかも。。。なんて思いましたよ~
[2013/04/10 23:51]| URL | ばるさろ #-[ 編集] |

>ばるさろさん

返事が遅くなってしまいました~><
すみません・・・

学校で習った事すら覚えていないあたしは多分重症ww

中尊寺にはお堂等色々あったけれど、建築様式には統一性はなかったように思います。
参考にしているものはあったようですがー。

京都から奥州への旅、是非やってほしいです☆ミ

[2013/04/13 17:47]| URL | zucca #-[ 編集] |
冬の中尊寺
中尊寺!雰囲気もいいんですよね~^^
奥州藤原3代と泰衡、の夢の跡・・・
花の頃にいけば、人も多く当時の栄華を感じ
雪の頃に行けば、寒々しい感じが滅び行く感じを醸し出しますね、、、儚いですね
最近本堂の御本尊様が開眼された報道が有ったような???

写真の傾きは、斜めに本堂を捉えているので、遠近法により傾いて見えるのではないでしょうか?
[2013/04/14 18:36]| URL | エヴァ #-[ 編集] |

こんばんは~
中尊寺イイですね!
上から7枚目の写真はパンフレットなんかでもよく見ますよね。
しかし、中尊寺から山が見えて、しかも大文字があるとは知りませんでした・・・。

義経のお話、とても勉強になりました。
この地にもしっかりと義経の伝説が根付いてるんですね~。
義経の話は日本の至る所でありますね。
自分は、義経が逃亡の際海を渡ったという伝説が残る北海道の神威岬に行ってきましたが、
こんな北の果てにも伝説が残ってるんだと驚いたもんです。
[2013/04/17 18:52]| URL | きみひと@ #-[ 編集] |

>エヴァさん

平泉全体として焼失してしまっているのが本当に残念でなりません・・・
それでも平泉の人達は大切にこの土地を守り続けてきたのでしょうね。

ここでは建造物というより、思想等を学びましたよ。


>きみひとさん

おはようございます☆

中尊寺の金色堂前の写真はパンフまんまですねww
大文字焼きのある山は中尊寺から歩いて10分弱ぐらい、義経堂のある丘陵から見えました~

義経は北海道まで逃亡してたのですかー!
これまた勉強になります(`・ω・´)ゞ
頼朝の反感を買うような事をしたり、血気盛んな人かと思っていましたが、最期は一切戦うこともせず自害。
うーん、義経の人物像がとても気になります。
[2013/04/18 09:43]| URL | zucca #-[ 編集] |
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